障がい者・障害者・身障者の考察と提案
これは大きな問題で、障がい者と書くか障害者と書くか、
なども含めて何が正解といったものはなく、
どちらでもいいのではないかと言うと、
これまた議論の波紋を広げてしまいます、
ただ、58歳の健康な(一部精神不健康)(笑)
いわゆる健常者?からの主観を発信してみたいと思います、
また、一(いち)調理師としての提案もしたいと思います、
ぼくは80年代後半から90年代前半と、
2002年〜2005年にまたいで、アメリカに住んでいましたので、
福祉や医療に直接関わったわけではありませんが、
アメリカと、もしくは少し遅れてヨーロッパ諸国と、
そして日本とでは障がい者へのアプローチ(関わり方)や対応、
また身障者(身体の不自由な人)、障がい者(精神障害も含めて不自由な人)
といった区別の捉え方もマチマチなのを理解しています、
僕が居た1991年くらいからアメリカでは、
Handicap ハンディキャップが主流でしたが、最近では Challenged チャレンジドと呼ばれたり、
NHKのドラマでもありましたね、
ひと昔前なら disabled ディスエイブルド など様々な表現がされています、
ただし、どの単語も日本語には翻訳できません、直訳はできます、
なぜなら先に書いた、関わり方や対応がまったく諸外国とは違うからです、
正直まったく違います、
ピープル・ファースト(People First)
「まず人間である」と言う英語のことわざもありますが、
これの意味の浸透性は、どの国というわけではないのですが、
哲学的な、また宗教性も重要になってきますので、
ISO規格のように統一することが難しいのではないかと思います、
ただ、海外での生活経験上思うのは、
アメリカに限って言えば、障がい者に対して、可哀想だとか気の毒だとか、
そういった感情が非常に薄いですね、
それがいいのか悪いのか、ある意味個人主義的な文化の賜物なのかも知れませんが、
日本では逆に、手を差し伸べなければならない、助けてあげよう、
確かにいい意味で「福祉」としての概念が高尚だとも思います、
これは誤解を恐れずに言うと、
はっきり言って自意識であれ責任転嫁であれ明らかに「差別」だと僕は捉えています、
逆にアメリカの生活圏の人にはその意識は皆無です、
ちなみに法的には障害者手帳を持っていれば障害者としての福祉を受けられます、
持っていなければ障害者としては認められません、
難しいですが、そのあたりを踏まえての意見だと捉えてください、
そこで僕は職業のひとつとして、「寿司技術講習」を一般の健康的な人と同様に、
精神障害を含む障がい者の方々に開放してみてはいかがなものかと考えています、
無論、課題や困難は当然ありますし、国や行政の協力がなければ難しいでしょう、
それでも思うのは、今や寿司ロボットのおかげで、
にぎり寿司も「乗せ寿司」が主流になりつつあります、
これはロボット(今風ならAIですか)、均一なシャリが ” ポーン” と出てきて、
それにネタを乗せるだけでにぎり寿司が完成します、
巻き物も、海苔に合わせたシャリが出てきて、巻きすがあれば、
それこそ片手で巻き寿司が作れてしまいます、
日本人は基本的に片手で食事ができるのですから、
また厨房のレイアウトさえ設計、施工すれば車椅子でも仕事ができます、
たとえ寿司でなくても、焼きそば・うどん・フレンチ・イタリアン・中国料理問わず、
身体の不自由な人でも、可能な限り健常者と変わらないモノを作り、
また商品として提供できるのではないかと思うのです、
これには一般的にも修行や訓練が必要であり、
身体が不自由であっても、普通にいる不器用な人と一緒で、
時間はかかるかも知れませんが技術を習得することは可能だと思います、
なので、ここに双方に「差別的」であれ「固定観念」であれ、
(女性は体温が高いので寿司は握れない的都市伝説)
※ 都市伝説は英語です(Urban Legend)からの訳
などが介在してはいけません、
あくまで「挑戦する」ことに変わりはないのですから、
「差別」も「区別」もする必要はないと思うのです、
なんなら僕でしたら寿司ロボットがなくても、
片手で握れるにぎり寿司を教えることもできます、
巻き寿司も同様です、
それを片や「無理に決まってる」
片や「不可能や」と決めつけてしまっては何も前へは進みません、
それこそ「Challenged」なのですから、挑戦者です、
却って、障害を抱えている人の方がたくましく(パワー)、また幸せではないのかと、
トップのYouTubeの動画を見て、なんか最後の笑顔がとてつもなく印象的でした、
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