新しい時代の飲食店の形
鮨や全般和食の業界には年功序列ならぬ、
「技術段階序列」みたいなものが昔からあります、
まず一番最初、新卒、いわゆる初めて社会に出たら、
だいたいが「見習い」とか「追い回し」とか「ぼんちゃん」
とか言われていましたね、
「洗い場3年」「おかもち(出前持ち=配達)3年」とか?
そんなんしてたら歳とりますやん(笑)
実際にはそんな年月はかからないのですが、
ただ最初から包丁を握ったり、料理をさせてはもらえないのが普通です、
すし屋なら、岡持ち、出前係と洗い物を教えられますね、
料理屋(割烹・和食)でも「お運びさん」とか先の「追い回し」
なので仲居さん(御座敷係=ウェイトレス)にもこき使われます(-_-;)、
それから、初めて料理に携わっていくのですが、
まず「八寸場=盛り付け」の仕事を教えられます、
結構ここが重要で、ここをしっかり勉強、訓練しておくことが後々役に立ちます、
そして、いよいよ料理を教えられるわけですが、
ここからが厳しくなります、めっちゃくっちゃ忙しくなります(笑)
まず「揚げ場」か「焼き場」、揚げ物と焼き物ですね、
これねぇ〜、だいたい同時に仕込まれるんですよ(笑)
同時にやらされると言うか、前に油があって、後ろに炎があるのが普通です、
ここで戸散(とち)ってると、まぁよう怒られますわ( ̄▽ ̄;)、
「おまえ、なに見習いの時見とったんや」とか、
「八寸場でなに勉強しとったんや」とか、
この辺りで、仲居頭あたりから、こき使われる ➡️ 慰められるに変化します(笑)
そうして、無難にそこそここなせるようになると、
しんさんから「剣剥いといてくれ」「南天の葉取ってきといてくれ」と、
ようやく包丁と、そしてハサミ(笑)という刃物を触れるようになってきます、
ここも重要で、予め「かつら剥き」の練習をコソッとやっておかないと、
そんなの教えてくれませんから、て言うか教えようがないのも事実ですが、
そうこうしている内に、「刺身場=向こう板」、すし屋で言うと、二番手から花板さん、
の仕事を間近で見ることができるようになります、
それでも、魚の水洗いや後片付け、盛り付けの段取りなんかを覚えていきます、
この辺りで「教えられる」を通り越して、「仕事を覚えていく」「仕事を盗んでいく」
そういう自主的な段階に入っていきます、
「おう、ちょっとこれおろして(捌いて)みるか」とか声をかけられたら
しめたものです、
いよいよ包丁の技術を学べるようになります、
そりゃぁ最初は手が震えますよ、真横で見てきたのと実際やるのは大違いで、
でも、そこは意外と最初は丁寧に教えてくれます、
優しいのではなくて、素材のロスを出したくないのです(笑)
もしくは余計な仕事を増やしてほしくないので、非常に丁寧に教えてくれます(笑)
当の本人は魚を捌かせてもらえるのが嬉しいので、半板場の気分です^^、
しかし、仲居頭からはまだまだ偉そうに言われます(笑)
そしていよいよ、花板さんが独立したり、向こう板から煮方へ先輩が昇進したら、
「刺身場」=造り場を任せられることになります、
この時、洗い場3年岡持ち3年とかやっていたら、
もはや40歳近くになってしまいます(笑)
なので大体この「しんさん=花板」になる頃は25〜26、7歳くらいが目安です、
19くらいから始めると、6、7年目ですね、いよいよこれから脂がのってくる時期で、
すし屋なら一番「結婚適齢期」(笑)です、冗談ではなくよくモテます❣️
さてここで包丁が「切れる」のか「切れない」で終わるのかが訓練です、
もう教えてくれる人は居ません、独学になります、
煮方の先輩ももう「一人前」扱いしてきますので、あーだこーだ言ってきません、
そしてようやく仲居頭とほぼほぼ対等にモノが言えるようになります(笑)
そして最後に「煮方」の仕事を任されるようになります、
ここも忙しいです、上(料理長)からも下(仕込み場や板場)からも
仕事をどんどん持ってこられます、ガス台3台フル稼働です!
また料理長とも懇意に仕事の話ができ、個人的なお付き合いもするようになります、
仲居頭はもうあまり近寄ってきません(笑)
この「煮方」を卒業すると「料理長」という役職が待っています、
いわばスポーツで言う「監督」ですね、
料理長は全責任を負いますが、仕事は楽です、
て言うか、他の勉強が始まりますので、頭が忙しくなります、
大きく分けて「献立」と「人材育成」です、
アルバイトくんやパートの奥さん連中とも笑顔で接していかなければなりません(笑)
まぁここまでくると、プロデューサーチェアに座ることができます(笑)
また仲居頭からは「さん付け」で呼ばれます(笑)
ようやく仲居頭より立場が上になりましたね^^、
中にはいつまでも頭が上がらない料理長もおられますけど(笑)
しかしながら、現在では見習い期間からいきなり寿司を握らせてもらったり、
魚を捌く仕事をやらせてもらったり、
市販の「タレ」を使って一足飛びに煮方の仕事を教えてもらったりします、
それはそれですごくいいことだとは思うのですが、
自分で店を持って「大将」オーナーになるのはかなり無理があると思います、
一生その会社なりその店で働くことを余儀なくされる可能性が高いです、
だって自信がつかないですもの、業界用語でそのような人のことを「こがい」と言います、
ずっとひとつの職場で働き続ける「職人」=「正社員」ですね、
これを最初にこだわりを捨てて取り入れたのが、
小島淳司社長(当時)率いる「がんこ寿司」さんですね、
修行(入社)一年目からみんな寿司を握らせてもらえました、
だって寿司を握りたいから鮨屋に就職したのですから、その夢がいきなり叶うわけです、
昭和60年(1985年)くらいからの話です、
それももはや今となっては、それさえも勤まらない世代になってきたようです、
先日も梅田のがんこ寿司に行ってきましたが、
僕と変わらない年齢の職人さんが寿司を握ってくれました、
なんかちょっと寂しい思いをしましたが…
時代は大きく、またとてつもなく速く動いています、
握らなくてもいい寿司、巻かなくてもいい寿司が主流です、
なにも厳しい修行をしなくてもいい時代になったかと思うと、
その職業につきたいという若者が少なくなりました、
仕事に魅力がなくなってしまったのでしょうか、
なんとなく考えさせられますが、
先細りであったとしても、古い、また歴史のある技術は伝えていきたいと思います、
あ、なんか、ヘビーな話をするつもりはなかったのですが、
重たくなってすいません<(_ _)>
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