③ アメリカ・シカゴ、出向社員という立場
サントリーでの勤務は当時『準社員』と言われて、
3年契約の月給制の待遇でした、
別に給料が安いとは思わなかったのですが、
職人であった親父からの送り言葉でもあったので、
「給料のことは言うな」「縁の下の力持ちでいけ」
ただ周りの主任やシェフからしたら、かなり安かったようです、
年齢的なもんでしょうね、契約時22歳でしたから、新卒ですよ(笑)
ペイ・チェックで月額$1,050を$525ずつ月に2回もらっていました、
健康保険の*両方も会社持ちで、家賃も$350まで会社負担、
*向こうは「歯科」とそれ以外の保険が別になっています、
また電気・ガス代が極端に安かったので、
だいたい両方合わせて$50くらいだったかな、
当時(1990年前後)のアメリカは物価がかなり安かったです、
ガソリンもほぼ日本の1/4、ℓ¥30くらいでした(笑)
まだ独身でしたし、ほぼ手取りは可処分所得でしたね、
23歳にしては充分な生活費だったと思います、
水道代は大体どこでも家賃に含まれていましたので、
計算には入れてませんでした、
ただですよ、最初の忘れもしない(笑)
2930.N Sheridan Rd. CHICAGO, IL 60657 から、引越しの時ですよ、
この住所、今でもスッと出ます(笑)
松原マネージャーから、、、
「自分で探せ」
と言われました(笑)
ちょっと待ってくださいよ!!!!
こないだやっと、どういたしましてを、
” You’re welcome ” を覚えたところですよ(笑)
どこへ行ってどうやって探して、
そしてどうやって契約すればいいのですか?
正直これには参りました( ̄▽ ̄;)、、、
がしかしですよ、実はこれが度胸というか、
「なんとかなる」という原点になったのです!
いや、ほんとに英語できませんでしたから、
耳も良くないので、歌も下手くそで、カラオケ嫌いでしたもん(笑)
耳が良くない人のことを英語では、
(No ears for music)= 音痴と言ったりします、
そう、聞き取り、リスニングがてんでダメな学生時代だったのです、
まぁでも、まずは新聞を買ってきて、
(正確には黒人のディッシュウォッシャーのローレンス=Lawrence から頂いたのですが)
「FOR RENT」を探して、とりあえず今住んでいるところの近くで、
且つ、バス停に近いところを探してみました、
もうあちこち廻るのは考えられなかったので、
最初のアパートで決めることにしようと、
ホテルの一室の、ベルモント通りとシェリダンの角、
(W. Belmont Av & N. Sheridan Rd)
3200.N. Lake Shore Dr の賃貸で、デポジットを払い、
(向こうはだいたい1ヶ月分の家賃の前払いだけで、保証金や敷金、礼金の慣習がありません)
で、とにかくその場で速攻で決めて契約しました、
その時しゃべった英語などたかが知れてます、
要は「この新聞に載っている部屋を借りたいのだ」の一点張りです(笑)
しかしそれだけで、実にあっさりと自分の名前をサインして(いちようローマ字で(笑))
鍵をもらって終了でした( ̄▽ ̄;)、
松原マネージャーが「自分で探せ」と言った意味がわかりました、
実に簡単なのです(笑)
とにかくシンプルで、さすがに移民の国です、
なんの不自由もなしに、またなんの障害もなくレントできました、
2ヶ月分の家賃さえ持っていけばサクッと鍵をくれます(笑)
その日から住人です(笑)
あとは引っ越しで荷物を放り込むだけです、
いやぁ、これはもしかしたら一人でも生きていけるかもと極端に思ったものです(笑)
ちなみに借りた部屋は日本でいうワンルーム、
あちらでは、Studio, スタジオではなく(ステゥーディオ)と言います、
ひと月 $350(Tax Included)でした
今日はそんなアメリカの賃貸と引っ越しのお話をしてみました、
なのでこれから海外へ赴かれる方は、どうぞ安心して出かけてください、
海外へ行けば言葉の障壁がどうしても立ちはだかりますが、
実際にはどうにかなります、お互い「人間」ですから実は大丈夫なんです^^、
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