⑧ 続・すごい人が来た(ヘッド シェフ編)
実にこの人がすごかった!
数々の料理旅館や料亭で料理長を勤め(能登加賀屋グループ加賀屋旅館・金沢浅田屋)
自分でも商売をやって、そして潰し(笑)
サントリーのレストラン部の岩瀬谷総料理長や、鳥井料理長も一目置く、
特に割烹・和食の世界においては凄腕だったのです!
かの加賀市山中市出身の道場六三郎さんとも、同じ*部屋だったそうです!
*部屋=調理師会におけるいわばグループ的組織
ただくどいようですが、ぼくの「お友達」です(笑)
「包丁式」まで若い頃に経験されており、
例の、手をまったく汚さないで、左手にお箸(真魚箸(まなばし))を持ち、
右手に包丁で、「めで鯛」を捌いていく儀式です(鯛に限らないようですが)
ちょうどぼくが赴任した1年後の1月にシカゴに来られたと記憶しています、
すでにマージャーは松原さんから織田さんに交代しており、
キッチンの方も山中料理長改め藤野料理長に代替わりすることになりました、
別に山中さんの腕が問題だったわけではなく、
単に「すごい人」がやってきただけのことです、
織田支配人の本気度が窺えました( ̄▽ ̄;)、
料理も当然さることながら、段取りがまるで違う、
休憩時間はみっちり3時間取れるようになりましたし、
退勤はきっちり22時、
毎晩みんなで飲みに行けるようになりました(笑)
無論、料理の質も断然良くなり、お客さんが激増です!
寿司バーの方にも空席待ちの流れでアピタイザー(前菜)代わりに、
お客さんが流れてくるようになりました、
やはり組織は「トップ」で変わると思います、
織田さん然り、藤野さん然りですね、
もちろんそれを裏付けする「技術なり・情報なり・人脈なり・知識が必要」
なのは当然のこととして、やはり「経験がモノをいう」ものだと思いました、
織田さんのトップクラスのサービスのクオリティと、藤野さんの料理の品質の高さが、
名だたる商社のお客さんを大満足させて帰すことに、毎日が変化していきました、
ぼくが赴任して2年目以降は、シカゴのダウンタウンでは*新聞に取り上げられるほど、
*シカゴ・トリビューン = The Chicago Tribune に2回に亘り掲載されました
有名で、且つ忙しいレストランに大変貌しましたね!
ただ寿司バーは相変わらずボチラボチラでしたけど(笑)
でも噂を聞きつけて、有名人 ” 音楽界の ZZ TOP のお二人 ” や ” マイケル・ジョーダン ” さん、
日本からは ” 矢沢永吉 ” さんも鉄板焼きに来店してくれました、
サイン・サインでしたが写真は断られたようです、
きっとプライベートだったのでしょう、女性とお二人でしたから(笑)
キャッシャーの中国人は矢沢さんのクレジットカードのガッシャンガッシャン(当時転写機)で、
何回も何回も刷っていたのが面白かったです(笑)
やはりあらゆる組織は人、特に「トップで決まる」と同時に、
飲食店においては「商品力」がモノをいうことを目(ま)の当たりにした時代でした、
会席料理だけでなく、ダイニングのしゃぶしゃぶ、鉄板焼き、
全ての料理のクオリティが激変したのを見覚えています、