⑨ Kemmy(キミ)さんというアメリカでの母

 

シカゴでの寿司シェフ勤務、3年の間、

決して楽しい事ばかりではありませんでした、

 

やはり最初は言葉の壁、そして文化の違い、

特に、やはり黄色人種・アジア系、そんな偏見や差別をする人も、

多少ならずとも居ましたね、

 

ブラジル出身の忘れもしない「セオ」

まぁこいつは厄介でした(笑)

嫌なことは忘れるようにしていますので、

例の「忘れたいことが思い出せない」パターンです(笑)

 

でもそんな中、事務職で勤務されていた、

「近澤キミ」さん、Kemmy と呼ばれていました、(確か貴美さんだったと思います)

 

KAKUさんという中国の方の新店を、資金面から、またお客さんとしても応援するキミさんぼくも誘われてサントリーの休みの日に何回か応援に行かせてもらいました

当時の写真が少なく、

兵庫県出身のとても気さくな、それでいて小説家、

まためちゃくちゃお洒落な人でした、

そしてとにかく面倒見がいい、良すぎる人でした、

 

ぼくが凹んでる時はいつも「ケイタロー、麻雀しにおいで」って誘ってくれたり、

「卓球やらんか?」って卓球の好きな医学博士を呼んでくれたり、

一泊の近澤ファミリーの旅行にも誘ってくれました!

  

 

正直ケミーさんが居なかったらもしかしたらぼくは挫折して、

途中帰国していたかも知れません、

なんせ近澤家にはしょっちゅうお邪魔させていただいてましたから、

 

 

ただ、

ただ残念なことに、ぼくがシカゴ滞在中にガンで亡くなられたのです、

それはそれはショックで、

「キミさんが入院したらしい」と聞いて、すっ飛んで行ったら、

もう亡くなられた後で、おうちでは友人の方達と近澤さんご主人が

「どうなってんのや!?」狼狽されていました、、、

 

友人の麻雀仲間でもあった女性の1人が、

「Kemmyは頑張り屋さんやった」「一番頑張り屋さんやった」

みんながみんな頷いていたのが印象的でした、

 

それ以降、女性の最高の褒め言葉は「頑張り屋さん」が、

ぼくの中でずっと息づいています、

 

 

一緒になって先の「セオ」をけなして(ケミーさんもセオが大嫌い(笑))

「一回背後(うしろ)から包丁で刺したろか」と冗談を言ってたことが懐かしいです(笑)

 

 

今日はちょっと湿っぽい話になりましたが、

シカゴでの記憶からは外せませんので、

あえて、シカゴでのぼくのお母さん、キミさんの思い出話をしてみました、

 

 

左はKemmyさんの、最初のご主人との間の娘さん MIA

 

 

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