① アメリカへの旅立ち、旅立ち?(笑)
忘れもしない、1988年1月12日(36年前)、若干22歳一人成田空港へ
サントリーの海外派遣担当者の方(名前忘れちゃいました、すいません)
との待ち合わせ、
もちろん飛行機に乗るのも初めてで、海の外と言えば淡路島くらいでしたね(笑)
シカゴ・オヘア空港まで当時15時間のフライト、今でも思いますが、
15時間は長いですね〜〜〜〜〜〜〜〜〜、飛行機にお風呂欲しいと思いますよマジで、
そして昼の15:00くらいに到着するのですが、
アレ?前の日に戻ってる(笑)しかも昨日の1時間前やし?
これが「時差」か、消えた15時間はどこだ?(笑)
まさしくそんなレベルでした、
そして荷物を引き上げて言われた通りの到着便の待合室へ、
ところがお迎えに来てくれているはずのマネージャー(松原さん)が居ない、
オヘア空港で一人、最後まで取り残され、待合室にポツンと一人、
「おかしいな、誰もおらんぞ」
その時に成田空港で海外派遣担当者の人から言われた、
「もし見つけてもらえなければ、これを出してください」
(笑)
読まれてますよね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(笑)
それで突然目の前に現れたのが松原マネージャー
開口一番「お前かぁ〜〜〜〜〜〜」
「オレはミラノでもこのシカゴでも、空港の迎えで誰一人見逃したことがないけど」
「お前は…、初めてや」「なんでスッと歩いて行った?」「普通キョロキョロするやろ」et cetera
なんかいろいろ言われました(笑)
「あの・・一人しか残っていなかったら声くらいかけたらどうですか?」
「お前は絶対違うと思ってた、アイツは違う…」
ていうか日本人が空港の待合室でポツンと一人おったら絶対ソイツでしょ(笑)
「なんかえらいやつ送ってきたな〜」
いや、それはこっちのセリフですよ、紙袋なかったらどうしたんですか?(笑)
そんなかんなで送迎の車で一路ダウンタウン、レストランサントリーシカゴ店へ、
途中、今でも鮮明に記憶にあるのが、車窓から見かける塔の時計がすべて時間が違う、
それも15分前後なので、止まっているわけではない、
「時計の時間がみなマチマチですね、、、」
「これがアメリカや」と松原さんに言われたのが最初の僕のアメリカでした、
そして同日1月12日とりあえず紹介をしてもらい、簡単な食事をよばれて、
「山口は正田(しょうだ)」と一緒の部屋になる、2ベッドルームだけど、
詰まってるのでリビングでしばらく寝てくれ」
「あ・はい」
30畳くらいのリビングでした、
広すぎっしょ!(笑)
でもアメリカの部屋は普通カーペットが敷いてあるので、
ベッドがなくても寝心地はよかったですよ、
この時、同部屋の正田さんに言われたのが、
「アメリカはなんでも大きいんだぜ」
僕にとって2番目のアメリカがこの言葉でした、
続く→ To be continue と英語で言っておきましょう(笑)
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