すごい店 京都 割烹「魚勝」伊藤勝治(かつじ)師匠
ぼくはここで1年間お世話になったのですが、
当時1986年〜1987年にかけてです、
当時の親父さん(以下おやっさん)は47歳〜48歳でした、
今のぼくはすでに十も上の58歳になりました、、、、
まだデジタルカメラがなかった時代でしたので、
アナログの写真も残っていませんが、
記憶には鮮明に悲壮感が残っています(笑)(写真のおやっさんは笑顔いっぱいですが)(笑)
だって毎日いつ辞めようかなって思ってましたから(笑)
13時には店に入って17時〜翌2時まで営業、
後片付けをしてだいたい朝3時から4時に帰宅って感じでしたね、
実働14時間くらいでしたか、当時の飲食では普通だったかな、
家にお風呂がなかったので、仕事中の合間に銭湯にも行かせてもらってましたしね、
若いから頑張れましたけど、実におやっさんがヤバかった(笑)
今日はそんな超頑固者の伊藤のおやっさんのエピソードを書いてみたいと思います、
どうぞ最後までお楽しみください!
この伊藤勝治さんは京都の調理師会でも有名で、
「煮方の伊藤」で通っておられたそうです、
がんこ寿司三条本店で知り合った「岸さん」という、
まぁとにかく包丁の切れる料理人と縁をさせていただいて、
その岸さんが「お礼奉公に1年勤めに行く」と言って、
「魚勝」に転職されるとき、その包丁捌きに呆気(あっけ)にとられていた私も
ついて行きます!<(_ _)>
8台の「舟盛り」を45分で作ってしまう「強者(つわもの)」でしたからね(笑)
で、一緒に伊藤のおやっさんと呼ばれる「魚勝」に就職?したのでした
当時は「給料7万円やけどよろしいですか?」と言われました、
でも寿司も握れるし、天ぷらもまぁまぁそこそこ揚げれたので、
八万円もらえました💴💴💴💴💴💴💴💴(笑)
まぁ1万3千円の家賃のワンルーム?(笑)
四畳半一間+1.5畳の台所、そして
トイレ付きだったのですッ!!!(笑)
これは大きい、だって共同トイレ臭いもん( ̄▽ ̄;)、
速攻決めました!
休みが日曜日でしたので地元西田辺の親元でバイトもしながら、
競馬も毎週楽しみながら(笑)なんとかやっていけたものです、
振り返れば実に有意義な二十歳代を過ごしていました^^、
しかし、かなりの変人、職人で、
ぜったい妥協を許しませんでしたッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これくらい許しませんでした、
こんな感じです ⬇️
女将さん「お父さんもうお客さん帰るいうてはりますよ」
おやっさん「わかってます・ちょっと待ってください・待ってもらうのがあんたの仕事でしょう」
女将さん「…」
ようやく土瓶蒸しが18人前あがりました!
18人前ですよ!よく覚えておいてください(笑)
しかしおやっさんは出汁の味見をしていないままに仕上がったのです、
もうすでに脇取り(両手で抱える塗りのお盆)いっぱいに
土瓶蒸しが並んでいるではありませんかッ!
ようやく胸を撫で下ろすように女将さんがその脇とりを抱えた瞬間
おやっさん「ちょっと待ってください・味見させてください」
女将さん「……」
出汁を味見したおやっさん
おやっさん「あ・うすいです・ちょっと貸して」
「貸して?」
女将さん「…………」
なんとおやっさん、土瓶蒸しの蓋を、しかも柚子が乗っておる蓋を
一個一個外して、薄口醤油をお玉で、
一滴いってき落としていくではありませんかッ!!!
岸さんもさすがに手が止まって見つめていました(笑)
女将さん「………………」
棒立ちです!(笑)
もはや「執念」です、
このあと、まだフルーツがあって、
まさか料理の前にデザートを出すわけにもいきません!
立ちすくむ女将さん、、、、
そしてようやく蓋を元に整えて今再び脇取りへ Go→
おやっさん「?ケンちゃん・ちょっと待ってください」
ケンちゃん(ぼくより一つ年下でしたけど先輩)「はい?」
おやっさん「冷めたから・温めなおしてください」
ガス台3台フル稼働ですッ!(笑)
しかも「数秒ずつ」(笑)
もはや気が狂っているとしか言いようがありませんでした(笑)
女将さん「…………………………」もはや立ちくらみ状態です(笑)
再々々度、土瓶蒸しは脇取りへと、
脇とりを抱えた女将さんは一目散に2階の御座敷へ
もはや誰も止められなかったでしょうね(笑)
それでもそのあとのフルーツを出し終わって、
18名のお客様が帰られる時、馴染みの商社の幹事さんが、
「うまかったわ〜!ごっつぉさん大将 😀
やっぱり魚勝やな」
お見送りをする女将さんとおやっさん、
ぼくは「あぁ、おやっさん、、、、勝った」と口をポカンと開けて見惚れていました、
とまぁ、そんな大変なお店でしたけど、
この毎日しごかれた経験が(普通に働いているだけではっきり言ってシゴキですから(笑))
しかしこの経験が後々ものすごい「モノ」をいうことになるのです、
この「魚勝」を経て、ぼくはアメリカのシカゴへと旅立つことになります、
こうご期待ください!(笑)
そうそう、ちなみに、僕が勤めていた1986年当時は、
おやっさんと岸さんとケンちゃんと私の4人が厨房で
表周りに女将さんと仲居さん二人の3人で、
忙しい日は一日70万の売上がありました(雨などで最悪でも30万)
一人前8,000円(昭和61年当時)のおまかせ料理 +(飲料・サービス料・地方税だったかな)
ほとんどが社用の請求書払いでしたが、
これがどういう数字なのか
飲食店の数字に詳しい方はわかってもらえると思います(笑)
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